落合博満 vs ランディ・ジョンソン 名勝負列伝 ~その1~野村克也 vs 伊原春樹 名勝負列伝 ~その2~岡田彰布 vs 野村克也(前編) 名勝負列伝 ~その3~岡田彰布 vs 野村克也(中編) 名勝負列伝 ~その4~(作成中)岡田彰布 vs 野村克也(後編) 名勝負列伝 ~その5~(作成中)長島茂雄 vs 新庄剛志 名勝負列伝 ~その6~の続きです。原辰徳高校通算本塁打は43本、高校野球の神奈川県予選において、川崎球場を満員にするという【原フィーバー】を巻き起こした程の人気者。『宇野君、ボクと一緒に東海大で三遊間を組もうよ』とあの宇野コーチ(現・東海ラジオ解説者)を勧誘するも『あんな人気者と一緒にやるんじゃ、活躍してもちっとも目立たないから面白くない』とこれまた人気者で東海大への進学を考えていた宇野コーチ(現・東海ラジオ解説者)にいわしめてプロへ進むきっかけを与えてしまったという逸話もある。更に、東海大学野球部時代に日米野球では―早稲田大学野球部のセレクションを受け、15打数14安打14本塁打という嘘みたいな打撃をみせて合格した、あのドンデンこと岡田彰布と3、4番を組み逆転満塁本塁打を放つなどの活躍を魅せた。ちなみにこの二人にはプロレス好きという共通点もあり岡田監督が アブドレ・ザ・ブッチャーと何故か親交を持っているのに対し原監督はプロレス中継のゲスト解説に起用されることもしばしばジャイアント馬場さん(元・巨人)の訃報を聞いてマスコミに対し、『僕にとってのヒーローが・・・これ以上は勘弁して・・・・・・』といって人目をはばからずに号泣してしまった程。後にどこまでも愛(1982年発売)で歌手デビューオリコン最高85位、売り上げ1万1000枚―あの落合博満監督のデビュー曲、サムライ街道と聴き比べても遜色はない。そして―長島茂雄の再来のふれこみと共に巨人に入団したのだった。
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